お互いの過去を打ち明けてから、ショウとの関係はガラリと変わった。
メッセージの頻度がこれまでよりも多くなっている。 ついにはメッセージアプリのアカウントも交換してしまった。チャットのときとは違って、リアルタイムで届くメッセージ。毎朝、目が覚めると真っ先にスマホをチェックする。ショウからの『おはよう』のメッセージを見つけると、自然と頬が緩む。学校にいる間も、休み時間の度にこっそりメッセージを確認する。授業中でさえ、机の下でスマホを握りしめて、震動を待っている。
こんな風に誰かのことを考え続けるなんて、初めてだった。
『今日はなにか面白いことありましたか?』
帰宅後、いつものようにショウからメッセージが来る。些細な日常の出来事でも、ショウになら話したくなる。
「今日は美術の時間に風景画を描いたんです。先生に褒められて、ちょっと嬉しかったです」
『さすがNORIさんですね! 絵が上手なのは知ってましたが、学校でも認められているんですね。その絵、見てみたいです』
見てみたい。そう言われると、本当に見せてあげたくなる。でも、学校で描いた絵には私の本名が書いてある。それを見せるわけにはいかない。
「ありがとうございます。でも、まだまだ練習が必要で……今度、別の絵を描いたら見てもらってもいいですか?」
『もちろんです。楽しみにしています。僕も小説の書きかた、もっと勉強しなきゃ。NORIさんに読んでもらえるような作品を書けるようになりたいです』
ショウの小説。読んでみたい。どんな物語を書くんだろう。きっと、心が優しくなるような、温かい話なんだろうな。読む人を励ましてくれるような、そんな物語じゃないかと思う。
毎日、ただ他愛もない話を続けていた。何気ない会話が、私にとってはとても大切だった。
ある日の夜、いつものように長時間チャットをしていたときのこと。
『NORIさんって、将来の夢はあるんですか?』
将来の夢。考えたことはあるけれど、現実的じゃない。私にはきっと、難しいだろうと諦めていた。
「イラストレーターになれたらいいなって思ったことはあります。でも、現実的には難しいかなって」
『どうして難しいんですか? 以前、画像で見せてもらったNORIさんの絵、本当に上手だと思うのに』
理由はわかっている。でも、それをどう説明すればいいんだろう。
少し考えてから、私は思っていることを素直に書き出した。「絵の仕事って、技術だけじゃダメだと思うんです。人とのコミュニケーションも大切だし、営業とかプレゼンとかも必要で。私は人と会うのも話すのも苦手だから……」
『でも、NORIさんは僕とこうして話せてるじゃないですか。文章で表現するのがとても上手だし、相手の気持ちを理解するのも得意で。それって、すごく大切なコミュニケーション能力だと思います』
ショウの言葉に、胸が温かくなる。私のことを、そんな風に評価してくれる人がいるなんて。
「ショウさんにそう言ってもらえると、少し自信が持てます。ショウさんの小説家の夢も、きっと叶うと思います」
『ありがとうございます。でも僕も、NORIさんと同じような不安があるんです。小説って、編集者さんとの打ち合わせとか、読者との交流とか、人と関わることが多いから』
「でも、ショウさんは優しくて、思いやりがあって、話していてとても心地良いです。きっと、たくさんの人に愛される作家さんになれると思います」
こうやって、お互いの夢を語り合い、励まし合う時間が続いた。
日が経つにつれて、私の心の中に新しい感情が芽生えてきた。それは、ショウにもっと近づきたいという気持ち。
今までは、どんなに仲良くなった人でも、一定の距離を保ちたいと思っていた。でもショウに対しては、もっと知りたい、もっと理解したい、もっと心を通わせたいと思う。
そして、気づいてしまった。
これは、恋なのかもしれない。ある夜、そんな気持ちが溢れそうになったとき、ショウから意外な質問が来た。
『NORIさんは、恋愛について、どう思いますか?』
ズキンと胸が痛む。
どうして今、そんな質問を? まるで私の気持ちを見透かされてしまったみたい。「恋愛ですか? うーん、憧れはありますが、自分には縁のないものかなって思っています」
『どうしてですか?NORIさんなら、きっと素敵な恋愛ができると思うのに』
できるわけない。
この顔で、この容姿で。 でも、そんなことをショウに言うわけにはいかない。「私みたいな人間は、恋愛より友情のほうが向いてるのかなって。ショウさんはどうですか?」
『僕も、同じようなことを考えてました。でも最近、少し考えが変わってきて』
考えが変わった?
「どんな風に?」
『人と人との繋がりって、見た目とか、実際に会うこととか、そういうことじゃないのかもしれないなって。心と心で通じ合えることのほうが、ずっと大切なんじゃないかって』
胸がドキドキする。
ショウの言葉が、まるで私に向けられているみたいで、勘違いしてしまいそう。「確かに、そうかもしれませんね。心の繋がりは、とても大切だと思います」
『NORIさんとお話ししていると、いつもそう思うんです。こんなに心が通じ合える人に出会えるなんて、思ってもみませんでした』
ショウも、私と同じことを感じてくれているんだ。
互いに同じ気持ちでいるかも知れないなんて、嬉しくてたまらなくなる。「私も同じです。ショウさんとお話ししていると、心がとても穏やかになります」
『僕にとって、NORIさんはとても特別な存在です』
特別な存在。
その言葉を見た瞬間、私の心は決まった。「私にとっても、ショウさんはとても特別な人です」
送信した後、心臓がバクバクと鳴っている。
これは、告白? それとも、友情の確認?ショウが感じているのは、きっと友情のほうだと思う。
恋じゃないとしても「好き」と思う気持ちを持ってくれている。だから、こんな話になったんだと思う。それがたまらなく嬉しい。『ありがとうございます。NORIさんにそう言ってもらえて、本当に嬉しいです』
「私も、ショウさんにそう言ってもらえて、とても嬉しいです」
その夜、私たちは遅くまで話し続けた。
ただ――。 どちらも最後の一歩は踏み出さなかった。「好き」という言葉は、使わなかった。それでも、お互いの気持ちは十分に伝わっていた。私たちは、もう友だち以上の関係になっているんじゃないかと錯覚してしまう。
それと同じくらい、どこかでこの先の不安も感じるけれど――。
こんなに深く関わってしまって、本当に大丈夫なんだろうか。ショウに会いたいと言われるときが来たら……?
そのとき、私はショウを諦めることができるだろうか?
この美しい関係を、どうやって守っていけばいいんだろう。
スマホを胸に抱きながら、私は複雑な気持ちでベッドに入った。嬉しさと不安が、心の中で渦巻いている。
でも、今は嬉しさのほうが勝っていた。中学のころとは違う、初めて誰かを心から愛することを知った。
そして、認めてもらうことの喜びも知った。たとえ、それが画面の向こうの相手でも。
スマホの画面を見つめながら、私は震える指で文字を打ち続けていた。もう何時間も、この一通のメッセージを送ることができずにいる。「拓翔へ。これが最後のメッセージになります」 削除して、また打ち直す。何度繰り返しただろうか。でも、もう私は決めていた。この関係を終わらせると。 昨日から、拓翔は必死に私を慰めようとしてくれている。『写真を見たけど、紀子は僕が思っていた通りの優しい人だよ』『容姿なんて関係ない、紀子の心が好きなんだ』『今度こそ、直接会って話そう』と。 優しい言葉の数々。きっと、彼は本当にそう思ってくれているのだろう。でも、その優しさが、逆に私の心をえぐるのだ。 私は醜い。それは紛れもない事実。鏡を見るたびに、自分でも嫌になるほどの容貌。そんな私を見て、本当になにも感じないなんてことがあるだろうか。きっと、拓翔は優しいから、私を傷つけまいと嘘をついてくれているに違いない。「拓翔、今まで本当にありがとう。拓翔と話してきた時間は、私にとって宝物でした。でも、もうこれで終わりにします」 送信ボタンに指を置いたまま、動けない。これを送れば、もう二度と拓翔と話すことはできない。この数カ月間、私の心の支えだった彼との関係が、完全に終わってしまう。 けれど、あんなことがあった以上、もう続けることはできない。現実を知った今、このままでは私たちの関係は嘘になってしまう。 私の指が、送信ボタンをタップした。 震える指で、続きの文字を打つ。「会わない恋人なんて、やっぱり無理だったんです。私たちは画面の向こうの存在のままでいるべきでした。リアルな私を知ってしまった今、拓翔が私に向ける優しさは同情でしかありません」 涙が画面に落ちて、文字が滲む。「私は、あなたに同情されるのが辛いんです。本当の恋人同士だったら、こんなことで関係が変わったりしないはず。でも私たちは違う。画面越しの、美しい幻想の中でしか成り立たない関係だったんです」 ここで一度手を止める。本当にこれでいいのだろうか。拓翔の気持ちを信じてみることはできないのだろうか。 何度考えても無理だ。彩音
翌日の朝、私は昨夜の出来事が夢だったのではないかと思った。 拓翔との電話。お互いの愛の告白。改めて、恋人として付き合っていけるという現実。 すべてが信じられないほど美しくて、温かい。 学校に向かう道のりで、私は何度もスマホを確認した。拓翔からの『紀子、おはよう。愛してる』というメッセージが、本当にそこにあった。「おはよう、拓翔。私も愛してる」 返信を送ると、すぐに返事が来た。『今日も一日頑張ろうね。紀子がいると思うだけで、なんでも乗り越えられる』 その言葉に、私の心は温かくなったのと同時に、不安もまた大きくなった。 教室に入ると、昨日のことを思い出して足がすくんだ。彩音はもういつものように席に座っていて、私を見ると意味深な笑みを浮かべた。「おはよう、神林さん」 彩音の声は昨日と変わらず甘い。でも、その目には昨日と同じ冷たい光があった。「昨日はごめんなさいね。ちょっとやりすぎちゃったかな?」 彩音の謝罪は、心がこもっていなかった。私は彼女を無視して自分の席に向かった。 休み時間になるたびに、私はいつものように、こっそり拓翔とメッセージを交換した。昨日、お互いの気持ちを確認し合った。そう思うだけで、胸がドキドキした。『紀子、大丈夫? 昨日のこと、学校でなにか言われてない?』 拓翔の心配そうなメッセージに、私は少し罪悪感を覚えた。「大丈夫。拓翔がいるから」 本当は大丈夫じゃなかった。今日は彩音になにもされていないけれど、クラスメイトたちの視線が気になって仕方がなかった。昨日のことで、私を変な目で見ている人もいる。 昼休み、拓翔から電話がかかってきた。私は人目のない場所を探して、階段の踊り場で電話に出た。『紀子?』「うん」『声を聞けて安心した。今日は大丈夫?』「大丈夫」 私は嘘をついた。本当は辛くて仕方がなかった。クラス中が敵のように思えるほどなのに。『本当に? なんだか元気がないみたいだけ
僕は部屋で一人、スマホの画面を見つめていた。 数時間前に送られてきた写真。そして、そのあとに続いた紀子からのメッセージ。『ごめんなさい』『これが、本当の私です』 写真の中の少女は、確かに一般的な美人とは言えなかった。でも、僕が感じたのは失望ではなく、むしろ安堵だった。 なぜなら、僕自身も容姿にコンプレックスを抱えていたから。小柄で、クラスメイトからは「チビ」とからかわれ続けてきた。 紀子が美人だったら、きっと僕なんかには見向きもしなかっただろう、そう思うとホッとしている自分がいる。 でも、それ以上に僕の心を動かしたのは、紀子の勇気だった。 あんなにも自分の容姿を嫌がって、会うことすら躊躇っていたのに。 自分の一番見せたくないだろう部分を、僕に見せてくれた。それがどれほど辛いことか、僕には痛いほどわかる。 それなのに、紀子はどうして突然、写真を送ってきたんだろう。「紀子、話そう」 僕はメッセージを送った。返事は来ない。 もう一度、メッセージを送る。「紀子、今から電話で話さない?」 僕は思い切って提案した。今まで文字でしかやり取りしたことがなかったけれど、今はどうしても声が聞きたかった。 日曜日に電話をする約束をしている。だけど、その前にどうしても話したい。 スマホが震え、紀子から返信が届いた。『ごめんなさい……私は拓翔に嘘をついてた』「そのこと。ちゃんと話そう。二人で」 しばらくして、チャットアプリの着信音が鳴った。僕は慌てて電話に出る。「もしもし」『あ、えっと……』 紀子の声は小さくて、震えていた。でも、とても優しい響きだった。「紀子?」『うん』「初めて声を聞けて、嬉しい」 文字とは違う言葉のやり取りに、胸の奥が温かくなってくる。 電話越しに、小さなすすり泣きが聞こえた。『拓翔、本当にごめんなさい』「なんで謝るの?」
「やめてよ……」 私の声は掠れていた。彩音の最後の言葉が、私の心臓を鷲掴みにしている。「本当のことを教えてあげない?」 その言葉の意味を理解した瞬間、私の世界が真っ暗になった。 彩音は私が醜いということを、拓翔に伝えようとしている。「お願いだからやめて! なんでそんな酷いことをするの!」 私は彩音に向かって手を伸ばした。でも、彩音は私のスマホを高く掲げて、私の手の届かないところに持っていく。「神林さん、そんなに必死にならなくてもいいじゃない」 彩音の声は甘いけれど、その目は冷酷だった。「酷いことだなんて、相手の人も知る権利があるでしょ? 付き合ってる人がどんな顔なのか」「付き合ってない!」 私は叫んだ。でも、それは嘘だった。少なくとも私の心の中では、今は拓翔と恋人同士なんだから。「へえ、そうなの? じゃあ、なおさら問題ないじゃない?」 彩音は私のスマホの画面を操作し始めた。私は血の気が引いていくのを感じた。「なに……してるの?」「写真を撮るのよ。神林さんの可愛い顔をね」 その瞬間、私は理解した。彩音がなにをしようとしているのかを。「だめ!」 私は彩音に飛びかかった。でも、彩音は素早く身をかわした。私はバランスを崩して、机に手をついた。「みんな、手伝って」 彩音がクラスメイトたちに向かって言った。彩音と仲が良い何人かの生徒が私を取り囲む。私は逃げ場を失った。「もういい加減にして! スマホを返してったら!」 私は涙声で懇願した。でも、彩音は聞く耳を持たなかった。「はい、こっち向いて」 彩音は私のスマホのカメラを私に向けた。私は必死に顔を隠そうとしたけれど、クラスメイトたちが私の手を押さえた。「神林さん、そんなに嫌がることないじゃない。ちょっと写真を撮るだけよ」 彩音の声は、まるで私のためを思っているかのよ
翌日、昼休みの教室で、私は一人で弁当を食べていた。いつものように隅っこの席で、できるだけ目立たないように身を縮めて。「ねえ、神林さん」 突然声をかけられて、私は箸を持つ手を止めた。振り返ると、またしても彩音が立っていた。その美しい顔に、いつもの意地悪な笑みを浮かべて。「なに?」 私の声は震えていた。昨日のことがあって、こんなふうに話しかけられても、警戒心しか湧いてこない。「昨日からみんな、ずっと気にしてるんだけど、神林さんってネットの恋人とメッセージのやり取りをしてるでしょ?」 そう言って、彩音は私の隣の席に勝手に座った。周りのクラスメイトたちがこちらを見ている。私は急いでスマホを隠そうとしたけれど、その手を掴まれた。「みんな、内容が気になるんだって」 彩音の声には、悪意をまとった響きがあった。クラスメイトたちのほとんどが、私と彩音のやり取りを見ている。「そんな……みんなが気にするようなこと……なにもないから」「へえ、そうなんだ」 彩音は立ち上がると、私の後ろに回り込んだ。そして、突然私の肩に手を置いた。「でも、今日も授業中こっそり見てたでしょ? 今度、先生にバレたら大変だよ?」 その瞬間、彩音の手が私のスマホに向かって伸びた。私は反射的にスマホを胸に抱え込む。「触らないで!」「なに隠してるの? そんなに必死になることないじゃない」 彩音の声は甘いけれど、その目は冷たかった。私は立ち上がって彩音から距離を取ろうとしたけれど、彩音は諦めなかった。「みんな、神林さんがチャットのやり取り、見せてくれるみたいよ」 彩音の声が教室に響くと、周りのクラスメイトたちがざわめき始めた。私は顔が真っ赤になるのを感じた。「やめてって、何度も頼んでるじゃないですか」 私の声は涙声になっていた。でも、彩音は止まらない。「そんなに隠すなんて、よっぽど恥ずかしいメッセージを送ってるとか?」
一夜明けて、私は重い足取りで学校に向かった。 昨夜は一睡もできなかった。彩音に秘密を知られてしまったことが頭から離れず、拓翔とのメッセージのやり取りも、いつもの楽しさを感じられなかった。『紀子、今日は大丈夫? 僕はずっと君のことを考えてた』 朝一番の拓翔のメッセージに、私の心は少しだけ温かくなったけれど、不安のほうが大きかった。「正直、怖い。桧葉さんがなにをするかわからないから……」『なにかできることはないか、って考えてるんだけど、いい案が思いつかなくて。話を聞いてあげることしかできなくて、本当にごめん』「拓翔が謝る必要なんてないよ。考えてくれていることが嬉しい」『もしなにかあったら、すぐに連絡して。僕もなにか方法を考えるから。一人で抱え込まないで。いいね?』 拓翔の優しさが、今は逆に辛い。彼にはなにもできないことがわかっているから。それでも拓翔を安心させたくて「うん」と返事を送った。 教室に入ると、彩音はいつものように友だちと楽しそうに話していた。私と目が合うと、彼女はにっこりと笑って手を振った。 その笑顔が、私には悪魔の微笑みに見えた。 一時間目の授業が終わると、彩音が私の席にやってきた。「おはよう、神林さん。今日も彼氏とメッセージしてるの?」 小さな声だったが、その言葉に私は凍りついた。クラスの誰かに聞かれたらどうしよう。「そんなの……桧葉さんは気にしないでください」「昨日はごめんね。でも、本当に面白いものを見せてもらったわ」 彩音の目が意地悪く光る。「お願い、誰にも言わないで。お願いだから」「う~ん、どうしようかなぁ……」 彩音は指を唇に当てて、わざとらしく考えるポーズをした。 意地悪なことを言っているのに、そんな顔も仕草も綺麗に見える。「それにしても、神林さんって意外と積極的なのね。『愛してる』なんて、恥ずかしいセリフをメッセージで送り合うなん